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前進(1/5)

桜の時期になると、妙に落ち着かない。
僕は、そんな性分の人間だ。
でも、花見でワイワイ騒ぐのはあまり好きじゃない。
一人でぼんやり見上げて、一年に一度の逢瀬を楽しむ。
その瞬間が、たまらない。

「今から、上野で花見やるけど、木名瀬も来るか?」
部署の先輩である三浦さんが、そう声をかけてきた。
「まだちょっと残務処理があるんで」
当たり障りの無い、断りの常套句。
でも、まだ仕事は残っていたから、嘘じゃない。
「じゃ、来れるようなら電話くれ」
「分かりました」
人付き合いのあまり良くない僕。
三浦さんも、それを分かっていて、無理強いはしない。

人がいなくなったフロアに、電話が響く。
「遅くにすみません・・・」
電話の相手は、顧客の設計事務所だった。
客先からの突然の注文で、機器の見積りを大至急お願いできないかとのこと。
いつも世話になっているし、数も少なかったので
型式をFAXして貰うよう頼んで、電話を切った。
花見に合流できなかった言い訳が出来たと、ちょっとホッとした。

積算部に内線を入れる。
ダルそうに電話口に出たのは、同期の長田だった。
急な依頼ですまないが、と用件を伝えると、意外に明るい返事が返ってくる。
「花見に合流できない理由が、合法的に出来たからな」
どうやら、考えていることは同じようだった。

先般の事務所は、官公庁の物件を多く手がけている。
恐らく、今回の見積りも3社の相見積りだろう、と伝えた。
「数は無いけど、他にアイミツで負けるのは悔しいからな」
長田はそう言って笑い、30分ほどでメールすると返事をしてくれた。
満開一歩手前の週末、絶好の花見日和。
帰りに不忍池でも周ってみるかな、そんなことを考えながら
来週の営業会議の資料にざっと目を通していた。

不意に内線が入り、同時にメールが着信する。
「早かったな」
「通常2営業日かかりますが、何か?」
「恩に着るよ」
電話で話しながら、メールの内容を確認する。
「結構強気なお値段で」
業界ではそれほど上の方ではないうちの会社。
主力製品は換気送風機全般だが、この建設不況の中、苦しい状況が続いている。
そんな中でも、集合住宅にターゲットを絞り、徐々にシェアを拡大しようと画策中だ。
「多分、今の時期で官公庁って言えば、都営住宅の耐震補強とかだろうしな」
「そうだろうな、あそこの事務所、前もそんなこと言ってたし」
「じゃ、尚のこと負けられんだろ」

出来上がったばかりの見積書を事務所へFAXし、電話を入れる。
電話の向こうで何度も頭を下げている様が思い浮かぶくらい、お礼を言われた。
事務所さんも大変だな、と思いつつ
新しい機器のカタログを持って、また伺いますねと言い、電話を切る。
ま、うちとしては、無事現場に納入されてくれれば万々歳なんだけど。


ふと時計を見ると、9時前。
もうこんな時間か、と思いながら、フロアを出る。
エレベーターを待っていると、後から声をかけられた。
「こんな時間まで、お疲れさんだね」
経理の市川さんだった。
「市川さんこそ。・・・月末だからか」
「俺らは、この時期こそが頑張りどころだからね」

営業の僕と、経理の市川さん。
普段、あまり接点は無いけれど
僕がまだ新入社員だった頃、社員旅行で同じ部屋になったのが彼だった。
それから、たまに飲みに誘われることがある。
「営業部隊は、今日花見じゃなかったの?」
「出かける寸前に、電話が来たもんで。僕はパスしました」
「そりゃタイミング悪いなぁ」
朗らかに笑っているが、きっと市川さんも僕の本心は分かっているんだろう。

うちの会社は、東上野にある。
駅で言うと、御徒町と新御徒町の間。
僕は御徒町から京浜東北線に、市川さんは新御徒町から大江戸線に乗るから
玄関で別れることになるのだけれど、何故か市川さんは僕と同じ方向に歩き出した。
「あれ、市川さん」
「折角だからさ。桜でも見ていこうと思ってね」
ちょっと意外だった。
失礼ながら、桜を愛でるような風貌では無いし、そんな性格でも無いと思っていたからだ。
「顔で桜を見るわけじゃないからなぁ」
僕の率直な疑問にも、そう、笑って答えた。
「木名瀬君も、一緒にどう?」
良いですね、と僕は答える。
正直、凄く嬉しかった。

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前進(2/5)

市川さんは、練馬の方に居を構えている。
いつもお弁当が入ったランチバッグを持ち歩いていて
奥さんやお子さんと写った写真が、携帯の待ち受けになっている。
独り者の僕には眩しいくらいの、典型的な家族像。
そんな市川さんの左手に光る指輪は
僕の暴走しそうな気持ちを堰き止める、防波堤だ。

自分の気持ちに気がついたのは、もう1年以上前のこと。
初めは、只の憧れだった。
そんなに仕事ができる方ではない僕に、何かと目をかけてくれる。
飲みに行った時も、いろいろ励ましてくれる。
それが嬉しくて、会いたい気持ちが募っていった。
何かが変わったと感じたのは、市川さんが幸せそうに家族の話をしていた時。
その言葉を、素直に聞くことが出来なくなっていた。
最悪なことに、僕は、市川さんの家族に嫉妬していたんだと思う。


「この時間でも、まだ人は多いなぁ」
市川さんは、少し呆れた感じで言った。
不忍池のほとりには、花見真っ只中の人たちが集っている。
酒の匂い、食べ物の匂い。
わずかな桜の香りは、それらにかき消されてしまっていた。
でも、咲きっぷりは見事だった。
歩きながら、桜を眺める。
いつ見ても、いい光景だ。
「やっぱり、桜は上野で見るに限るな」
「自宅の近くにも、桜が見られるところはあるんじゃないですか?」
「俺、上野の桜が好きなんだ」

池のほとりのベンチに腰をかける。
「木名瀬君は、出身は千葉だったよね」
「そうですね。実家から通うには遠いんで、今は赤羽の方に住んでますけど」
「俺はね・・・前に言ったっけ?」
確か、東北の方だった気がする。
青森、いや、岩手だったかな。
「こっちの人は、東北のことあんまり知らないよねぇ」
市川さんは、そう苦笑した。
ああ、こんなことを前にも言われた気がする。

「岩手のね、久慈ってとこ。海沿いの街なんだ」
市川さんは、嬉しそうな、淋しそうな、複雑な笑みを浮かべていた。
「俺が上京してくるときは、新幹線はまだ、上野止まりだったからね。だから、愛着があるのかもな」
上京と言う言葉に、むしろ羨ましさすら感じる千葉生まれの僕。
そう言えば、市川さんの田舎についての話は、あまり聞いたことが無い。

「最近は、帰ってるんですか?」
「いや、遠いし、なかなか帰れないね」
遠くの故郷を思い出しているんだろうか。
しばらく、桜を見やる。
「川沿いに、ちょっとした桜並木があってさ」
「よく花見に?」
「花見って程じゃないけど、好きでよく見に行ってたよ」
あちらでの桜の見頃は、ゴールデンウィーク辺りなのだそうだ。
改めて、日本の細長さを実感する。
桜は一ヶ月かけて、市川さんの故郷を目指す。
でも、市川さんが故郷へ戻れるのは、いつのことだろう。
物憂げな表情を浮かべた顔を見ながら、そんなことを考える。


「あら、ユウちゃんじゃない」
背後から、不意に声をかけられた。
振り向くと、和服の女性。
いや、明らかに声は男のもの。
たまに足を運ぶバーのママ、ルミコさんだ。
「今日はお花見?」
「ええ、ちょっと」
市川さんは、僕が、彼女と知り合いだと言うことに驚いているようだった。
話題に出したことが無かったので、当然かも知れない。
「ステキな男性とご一緒なのね」
ルミコさんは、市川さんに軽く会釈をする。
市川さんも、それに応える。
しばらく桜を話題に会話を続け、程なくルミコさんは去っていった。
「お邪魔してごめんなさい。又お店に寄ってちょうだいね」
去り際、ルミコさんは僕に意味ありげな笑みを向けた。

僕がルミコさんのお店に行くようになったのは、1年くらい前。
自分の抱える感情が理解できず、苦しんでいた時期だった。
答えがすぐ出るとは思って無かったけれど
気持ちを聞いてもらうことだけでも、どんなに救われただろうと思う。
きっとルミコさんは、気がついていたはずだ。
僕の隣に座る人が、僕の悦びの、苦しみの、元であることを。

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前進(3/5)

「木名瀬君って、名前、ヒロシって読むんじゃなかったっけ?」
去っていくルミコさんを目で見送りながら、市川さんが言った。
僕の名前は、裕と書いてヒロシと読む。
字面だけ見てユウと呼ばれることは頻繁にあるし
学生の頃のあだ名もそうだったから、あまり抵抗が無い。
初めて店に行った時も、名前を聞かれて
本名を名乗るのも何かと思い、つい、そう名乗ってしまった。
「じゃ、俺もユウって呼ぶかな」
笑いながら冗談で言ったに違いないその一言に、少し鼓動が早まった。

桜を眺めていた時間は、そんなに長くなかったと思う。
それでも、市川さんには帰りを待つ家族がいる。
「そろそろ帰らないとまずくないですか?」
この瞬間が、一番辛い。
「ああ、そんな時間か」
時計の針は10時35分を指していた。
ふぅ、と一息ついて、立ち上がる。
見上げる僕に、市川さんは思わぬ一言を発した。
「ルミコさんの店、連れてってくれる?」


湯島に近い小路。
花見の余韻の続きを楽しもうとするサラリーマンたちで賑やかな道を進み
店の前までやって来る。
よくある寂れた場末のバー、と言った趣だ。
市川さんは、あまり躊躇することも無く、ドアを開けた。
「いらっしゃいませぇ」
声質は低く、トーンは高く、そんな独特な声に迎えられる。
この店は、ゲイバーではなく、いわゆるおかまバー。
小さな店なので、お姉さん方も5~6人の所帯だ。
「ユウちゃん、久しぶりねぇ。会いたかったわぁ」
そう言って席へ案内してくれたのは、ギャルメイクがっちりのクミちゃん。
まつげがとても重そうだ。
そのやり取りにルミコさんが気がついたようで、こちらへ近づいてくる。

「もうお花見は終わったの?」
「十分、堪能しましたよ」
「そちらの方は先ほどの・・・」
「いつもユウが世話になってるようで」
そう微笑んで、軽く会釈をした。
「世話なんて。私は楽しくお酒を飲みながら、お話を聞いてるだけよ」
二人のやりとりを、クミちゃんが作ってくれた薄めの水割りを飲みながら聞く。
「こういうところには、よくいらしたりするの?」
「若い頃はね、よく連れて行かれたけど。大分ご無沙汰だったかな」
僕が初めてこの店に来たときは、ドアを開けるのにも躊躇してしまったけれど
そういう意味では、市川さんの方が場慣れしているのかも知れない。

「そう言えば、ママは何処の生まれ?」
「あら、どうして?」
「さっき話してた時ね、ちょっとイントネーションが気になって」
ルミコさんは、自分で作ったロックのウィスキーを少し口に含むと、はにかんだ。
「嫌よね。この歳になっても、生まれ育った土地の言葉が抜けないんだもの」
聞くと、ルミコさんは岩手の宮古と言う街の生まれだそうで
市川さんの故郷と、とても近いとのこと。
久しぶりに同郷の欠片を見つけて、何かを感じていたのかも知れない。

「ユウちゃんとは、どういったご関係?会社の方?」
「会社の・・・上司って訳じゃないけど。彼が新人の時からの付き合いで」
「じゃあ、ずいぶん長いのね」
「でも、未だに分からない部分も多くて」
市川さんは、はにかみながら僕の方へ視線を向けた。
心の奥を探られているようで、軽い緊張感が走る。

「ご結婚されてらっしゃるのね。お子さんは?」
とうに気がついているはずのことを、今気がついたかのように聞くルミコさん。
いつもと違う様子の僕を、気遣ってくれたのだろうか。
「ええ、2人。どっちも中学生かな」
「これから大変な時期かしら」
「でも、まぁ・・・ね」
市川さんは床に目を落とし、何かを考え、僕を見た。
「こいつにも、早く幸せになって貰いたいと思ってるんだけど」
いつも言われている言葉。
頭では、分かっているんだ。

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前進(4/5)

「あら、結婚だけが幸せじゃないでしょう?」
ルミコさんは空になったグラスを受け取りながら、にこやかに言う。
「ごめんなさいね、私が言っても何の説得力もないけれど」
そう笑いながら、僕に視線を移す。
「どんな人生が幸せなんて、自分でも分からないものよ」
「・・・確かにね」
市川さんは、ルミコさんの視線を追いかけ、僕を見る。
「誰も傷つけまいと、心の中で大切な人を思うだけの人生だってあったりするのよ」
「それは、ママのこと?」
ふっと微笑んで、ルミコさんはボトルを取りに、カウンターへ戻る。

「ユウちゃん、電車はまだ大丈夫?」
クミちゃんが、そう話しかけてきた。
同じ京浜東北線ユーザーの彼女は、終電の時間もしっかり把握している。
でも、僕が終電近くということは、大江戸線はとっくに終わっている時間だ。
「ユウは先に帰っていいよ」
「え?」
「俺、もうちょっといるから。どうせ、終電無いしね」
市川さんは、それを分かっていたんだろうか。
何か考える風の表情で、お前は先に帰れ、そう言われているような気がした。

赤羽行きの終電は、人でごった返していた。
どうせ最後まで乗るからと、奥の連結部分まで入り込む。
市川さんは、一体何を話しているんだろう。
ルミコさんが僕の悩みについて喋ることは絶対に無いと信じているけれど
薄皮を剥く様に、何かを探られんじゃないかという感覚が離れなかった。


次の日の朝、携帯の着信で目が覚める。
電話の相手は、市川さんだった。
「悪いね。今大丈夫?」
「ええ、今起きたところです」
「そりゃ寝すぎだろ」
市川さんは、いつものように朗らかに笑う。
時計を見ると、11時。
確かに寝すぎた。

「どうしました?」
「今、上野にいるんだけど。木名瀬君、ちょっと出て来れない?」
「いいですけど・・・」
とりあえず1時間下さい、と言って電話を切った。
今まで休みの日に連絡がくることは無かったし
ましてや、この時間に上野にいると言うことは、家には帰ってないんだろう。
そんなことも、初めてだった。
昨日の事もあって、喜びよりも不安を抱えながら、僕は身支度を急いだ。

時間ギリギリに上野につくと、案の定、市川さんはスーツのままだった。
「昨日、帰ってないんですか」
「ああ、久しぶりにカプセルに泊まったよ。狭くて背中が痛くなるな、あれは」
少し楽しげに言う顔を見て、違和感を覚える。
「どっかで飯でも食うか」
そう言って、市川さんは歩き出す。

適当に入った店は、昼食時間だけあって相当な混雑具合で
ランチメニューの焼き魚定食が出てくるまでも、時間がかかりそうだった。
「昨日は、何時までいたんですか?」
「ん~、2時過ぎには帰ったかな」
何を話してたんですか、とは聞けなかった。
あれこれ勘繰っていることを、悟られなかったからだ。
「ずいぶん遅いなぁ」
そう言って市川さんが水を飲んだ時、気がついた。
左手に、指輪が無い。
「無くした訳じゃないよ」
笑いながら、そう言う。
「外したんだ」
何故、と聞くことを遮るように、市川さんは僕を見る。
「俺ね、木名瀬君に言ってないことがあるんだよ」

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前進(5/5)

「離婚したんだ。先週ね。1年位前かな、ギクシャクしてきたのは」
市川さんは、ポツリポツリと、その経緯を話し出した。

仕事が忙しく、家族にあまり構ってやれなかったこと。
お子さんが中学受験を失敗し、登校拒否になってしまったこと。
そして、一番堪えたというのが、奥さんの浮気。

「幸せを君に強制する資格なんて、俺には無かったのにね」
市川さんは、自嘲気味に言った。

僕が帰った後、市川さんはルミコさんに離婚したことを打ち明けた。
どうしてこうなったのか、答えが欲しかったのだろう。
とりあえず、話を聞いて貰って気分が落ち着いたよ、と言った。
そして、話題は故郷の話に。
ふと、向こうに戻ろうか、と呟くと、ルミコさんはこう言ったそうだ。
「全てを断ち切るのは、最後の手段よ。もう少し、周りを見渡してみたら如何?」

市川さんが話している間、僕は何も言えなかった。
しばらく場に沈黙が流れると、絶妙なタイミングで定食がやってくる。
若干焦げ気味の魚を見て、市川さんは言った。
「・・・あれは、木名瀬君のことだったんだね」

定食は至って普通の味だった、と思う。
あまり覚えていない。
結局、店を出るまで、僕は言葉を選びあぐねて何も言えなかった。
「桜でも見ていこうか」
その言葉に、黙って頷く。

道の両脇に敷かれたブルーシートの上では、大宴会が催されている。
あちらこちらで、カップルや家族が桜の写真を撮っている。
風が吹くたびに花びらが舞う、まさに今が盛りの桜の木の下を進む。
「大切な人がいるんだね」
僕の隣を歩く市川さんが、そう呟く。
「悩みがあるなら、相談してくれれば良かったのに」
そんなこと、言える訳が無かった。

まもなく桜並木が終わり、正面に噴水が見えてくる。
「ユウ」
不意にそう呼ばれ、思わず市川さんの顔を見る。
いつもの優しい顔をしていた。
耐えられなかった。
「すみません。僕は・・・」
それ以上は何も言えず、黙って目を見つめる。
この期に及んで、結局市川さん任せになってしまった状況が、本当に申し訳なかった。

どれくらい向かい合っていただろう。
そんなに長い時間ではなかったと思うけれど
市川さんの目に宿る静かな困惑に堪らなくなって、視線を逸らす。
彼の肩の向こうには、満開の桜並木があった。
しばらくの沈黙の後、手が肩に添えられ、わずかに引き寄せられる。
「こっち、見て」
情けない顔をしていたと思う。
僕の前髪を掻き揚げるように、片方の手が額に触れる。
「気持ちは凄く嬉しいよ」
困惑は、口調にも現れていた。
「でも、俺は君に、何が出来る?」

男からの告白を、受け止めようとしてくれている市川さん。
僕は、もう、それだけで十分だった。
「何も望んではいないんです。ただ、許されるのなら」
胸を締め付けられるような気持ちになる。
言ってしまったら、もう後戻りは出来ない。
「・・・あなたを好きで、いさせて下さい」
極々薄いピンクがかった白い視界が、ふと、滲む。

「営業のエースが、そんな顔するんじゃないよ」
彼の手は、額から頬へ下がり、親指が優しく頬骨を撫でる。
「君は、変わらなくて良いんだ」
こぼれてしまった涙を、その親指が拭う。
「心を開いてくれて、ありがとう」
そう言うと、彼は僕の肩をポンと叩いて、自分に言い聞かせるように呟く。
「いつまでも、立ち止まってられないからな。俺も」

「不忍池の方も、見て行こうか」
市川さんは、僕の肩を抱いたままで、来た道を引き返そうとする。
思わず、その手を振り払ってしまった。
一瞬驚いた表情を見せ、訳知り顔に言う。
「案外、プラトニックなんだ?」
「なっ・・・」
「冗談だよ」
笑いながら先へ進む背中を、追いかける。
これで僕は、幸せに一歩近づいたんだろうか。
先のことは分からないけれど、今は、桜を掻き分ける一本の道だけが、僕の幸せだ。

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Information

まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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