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充足★(1/7)

「今日も一日、ご安全に!」
そんな掛け声で、仕事が始まる。
多くの作業員が働く、郊外のショッピングセンターの新築現場。
それぞれの担当場所に、それぞれが散っていく。

「今日は3階の東側で良いんだよな?」
前を歩く武井さんが、そう聞いてくる。
「昨日、エレベーター付近まで終わってるんで、その続きですね」
「シャフト部分からか。天井屋はまだ入って無いんだよな」
「その予定ですけど」
俺たちの仕事は、空調工事の施工。
空調機・換気機器とダクト・配管の設置を主に担当している。

この仕事をするようになって、もう3年。
初めは天井を向いて作業する毎日で、首も腰も痛くなっていたけれど
流石に今ではそんなことも無くなった。
何しろ朝が早いから、高校を出てフラフラしていた時期よりも、健康的になったかも知れない。

「あのボンクラはどうした?」
「まだ工程打ち合わせ中じゃないですかね?」
武井さんがボンクラ、と呼ぶのは、空調工事の現場監理をしている越智さん。
ゼネコンの社員ではあるが、まだ現場経験が浅く、段取りもイマイチ悪いので
作業員の間ではすこぶる評判が悪い。
「無駄無駄。工程通りに進んだことなんて、殆どねぇんだから」
中でも武井さんの嫌いっぷりは相当なもので、それを隠そうともしない。
「まぁ・・・そうですけど」
越智さんよりも年下の俺は、いつもフォローする役割を担っているのだが
その任は、あまり果たせていないようだった。


エレベーター脇のシャフトの前で、数人の職人が天井を見上げている。
「図面見てねぇのか?ダクトが通ってるだろうよ」
「それはずらすから貼っちゃって良いって言ったのは、おたくの若いのだぞ?」
明らかに雰囲気が悪い。
揉めている相手は天井部分を施工する職人たち。
ダクトを通す予定の場所に、既に天井を張ってしまったらしい。
武井さんの悪い予感は、見事に当たった。
「こんな狭いシャフトから出て、すぐ曲げられるわけねぇだろ?ダンパだって入るんだぞ」
「剥がせってか?」
「当たり前だろ。すぐ剥がせ」

大小かかわらず、小競り合いは良くあること。
とは言え、朝からこんな風じゃ、流石に気分も良くない。
騒動を作った張本人がやって来たのは、そんな最悪のタイミングだった。
「・・・おはようございます」
どんなに鈍い人間でも、この雰囲気の質はすぐ分かるだろう。
そして、その原因が自分であることも。
「あの・・・何か問題でも」
武井さんの舌打ちの音が耳を掠める。
小心者の俺には、それが居た堪れなかった。


コンクリート打ちっぱなしの屋外階段。
山を造成して作られているこの現場からは、遠くに市街地が見える。
申し訳程度に設置された赤い灰皿缶には、はみ出さん程の吸殻が貯まっている。
煙草に火をつけて一服すると、煙はあっという間に空に吸い込まれて行った。
空を走る雲のスピードは相当な速さで、きっと雨でも降るんだろう、そう思わせる。

「ええ、良くやって頂いてますし・・・大した遅れもありません」
聞き覚えのある声が、何処かから流れてくる。
「何とかなりませんか・・・お願いします」
携帯電話を閉める音が聞こえ、溜め息と共に、その主が階段を上がって来た。
「あ・・・お疲れです」
「お疲れ様です」
疲れた表情を見せる越智さんに、軽く頭を下げる。
「あれ・・・もう定時過ぎましたよね?まだ・・・?」
「ああ、片づけがまだ残ってるんで」
「そうでしたか」
彼はふと空を見上げ、呟くように言った。
「・・・天気、荒れそうですね。早めに帰った方が良さそうだ」

歳が近いからなのか、俺に対する越智さんの態度は、他の職人とは少し違う。
心を開いている、と言う程ではないにせよ、心象は悪く無いらしい。
前に開かれた慰労会で、彼は設計業務を希望しているという話をしていた。
やりたくて現場仕事をやってるんじゃない、そう漏らしていたこともある。
そんな彼に、同情する気持ちが無い訳でもなく
何となく板ばさみになっているような、勝手な被害妄想に駆られたりもする。
ただ、職人の中でも一番下っ端の俺には、どうすることも出来なかった。

□ 26_充足★ □   
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充足★(2/7)

大きな雨粒がアスファルトをポツポツと濡らし始める。
薄暗くなった周囲に、現場事務所の灯りが僅かに滲む。
後片付けも終わり、作業道具を抱えて事務所の引き戸に手をかけた時だった。
「やめて下さい!」
叫び声と、大きな物音。
戸を開けて中に入ると、床に転がる越智さんの身体が見えた。
「な・・・」
馬乗りになり、その口を手で塞ぐ武井さんは、気味の悪い笑みを見せる。
「おう、朝倉、まだいたか」
「何、やって、るんですか・・・?」
「お前、外で見張っとけ」
何を、そう聞けるような空気ではなかった。
数人の男に見下ろされている越智さんの表情は、脅えきっていた。
俺は身体の震えを感じながら、視線を逸らし、外に出た。

怒号と悲鳴、時折嘲笑の混じる声。
物が落ち、何かが床に叩きつけられる音。
その振動が、背後の扉をピリピリと震わせる。
暗くなった空からは、止め処も無く雨が降り注いでいた。
室内で何が行われているのか、容易に想像できた。
震えが止まらない。
堪らず、しゃがみ込んだ。
人間は、何処まで残虐になれるのか。
あの衝動がこちらに飛び火してこないことを、祈るばかりだった。


どれくらいの時間が経ったんだろう。
地面を流れる水は小さな川のようになっていて、所々に大きな水溜りが出来ていた。
狼藉の音が止み、雨音が耳を支配した時、もたれていた扉が突然開く。
出てきた先輩たちの顔は何処か満ち足りたような表情で、その違和感で背筋が凍る。
「後、片付けておけよ」
俺の肩を叩きながら、武井さんが耳元で囁く。
「お前も、抜いてったら?」
その吐き気がするような笑みに、無言で顔を強張らせることしか出来なかった。

開いた引き戸の向こうへ足を進めるのには、しばらくの時間を要した。
覗き込んだ室内には、残されたはずの人影は無く
床の上に乱雑に散らばった物と、点々と飛び散った白い液体が目に入る。
湿気っぽい空気が、得も言われない匂いに汚されていた。
奥のトイレの方からは、嘔吐する声と激しい水音が聞こえてくる。

逃げ出したくなるような空気の中、ロッカーに自分の荷物を放り込み、床に落ちた物を片付ける。
不意にドアが開く音がして、思わずそちらへ視線を向けた。
乱れた服装と、所々腫れた顔が、その凄惨さを物語る。
茫然自失の表情を変える事無く、彼は俺を一瞥した。
言葉は無かった。
俺もまた、何かを発することは出来ず、視線を床へ戻す。
ロッカーを開け閉めする音がし、徐々に近づいてくる足音を感じながら
早くこの時間が過ぎ去って欲しい、そればかりを考える。

「・・・あんたも、やってく?」
俺の後ろを通り過ぎる瞬間、彼はそう言った。
身が縮む思いだった。
緊張で口がなかなか動かない。
「お疲れ、様、でした」
彼に背を向けたまま、一言を搾り出す。
鼻で笑うような声と共に、彼は事務所を後にした。

作業机を元通りにし、散らばった施工図を整理し、床にこびり付いた体液をモップで拭き取る。
証拠を隠滅するように、俺はひたすら掃除を続けた。
俺がやった訳でも無いのに、何故。
そう思いながら、昨日までの日常を取り戻そうと、必死だった。


雨の勢いは、弱まることを知らない。
いつもなら送迎用のバスが駅まで連れて行ってくれるが、その時間も過ぎてしまった。
仕方なく、置き傘を手に、現場を後にする。
途中の駐車場に一台の車が止まっているのが見えた。
ちゃんと帰れるんだろうか、そんな心配をしつつ、足早に通り過ぎた。

住宅地と一体で造成をしているこの辺りには、建物らしい建物は全く無い。
辺りはすっかり暗くなり、アスファルトに跳ね返る雨が、足元を濡らす。
左手に林が広がる、緩やかな坂が続く道を歩いていると、後ろから光が近づいてきた。
この道は、ショッピングセンターの現場で行き止まりになっている。
確認するまでも無く、誰の車なのか分かった。

横を通り過ぎるタイミングで車は停まり、助手席側の窓が開く。
「送りますよ。乗って」
幾らか表情を取り戻した越智さんが、声をかけてくる。
「・・・大丈夫なんで」
「良いから。風邪引くと、大変ですし」
車なら、駅までは10分程度。
それくらいの無言の時間は、耐えられるだろう。
そう思いながら、彼の車に乗り込んだ。

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充足★(3/7)

知らない道を、車は走って行く。
駅までで良いという俺を強引に押し切り、彼は自宅まで送ってくれると言う。
だからなのか、いつもとは違うルートを、ナビの画面が辿っている。
周りには、何も映っていない。
山の中の一本道を北上している、と言う事しか分からなかった。

画面上に大きな敷地の建物が見えてくる頃、突然カーブを切る。
使われなくなった工場らしき敷地に入り、車は止まった。
「どう・・・したんですか?」
不穏な雰囲気に、声が上ずる。
「降りて」
見たことも無い彼の鋭い視線に、身体が固まる。

どしゃ降りの雨が、あっという間に全身を濡らした。
俺が車を降りるのを見計らうよう、彼も続いて車を降りた。
前面を回り込むように、俺に近づいて来る。
「何、ですか?」
脅える視線が、彼の気持ちに火をつけたのだろうか。
彼は俺の胸ぐらを掴み、顔を近づける。
「手ぇ出してないから、自分は悪く無い、なんて思ってるんじゃないだろうな」
「え・・・」
「あいつらと同じ存在ってだけで、あんたも十分同罪なんだよ」
俺はどうするべきだったんだ、そう考える間もなく、彼の拳が腹にめり込んだ。
苦痛で膝が折れる。
彼の憎悪の矛先は、俺に向かっていた。


彼は、容赦無かった。
顔を殴られ、口から吐き出た血が彼の車を汚しても、気にする様子も無い。
地面を這うようにもがく身体を蹴られ、仰向けになった俺を見下ろす彼は
心底楽しそうに見えて、恐怖感が一層増した。
やめてくれと懇願する声すら、出ない。
どうしてこんな目に遭わなきゃならない、そんな思いが、痛みに吹き飛ばされる。

意識が薄くなるのを感じる頃、彼は俺の身体に馬乗りになる。
「気ぃ失うのは、まだ早いだろ?」
首元を押さえつけられたまま、俺は軽く首を振る。
冷徹なその表情が、愉快そうに歪んだ。
「同じ目に、遭わせてやろうか?」
「か、勘弁・・・し、て」
歯が震えて、言葉にならない。
首にかかる手の力が、徐々に強くなる。
息苦しさで、彼の顔が段々霞んでくる。
「首絞めながらやると、すげー気持ち良いんだって。試してみようよ」
おもむろに彼は俺のモノを後ろ手で掴み、笑いかけて来た。
そんな訳が無いという意識とは裏腹に、ゆっくりとした手の動きに、身体が痺れる。
苦しさと、微かな快感に眉をひそめる俺を、彼は満足そうに見ていた。

作業ズボンから引きずり出され、彼の手によって刺激を与えられ続けるモノには
雨が当たる奇妙な感覚が沁みていく。
息が出来ない中で、熱を帯びた顔が、雨粒で幾分冷やされる。
「気持ち良さそうな、顔しちゃって」
別人のような、越智さんの口調。
朦朧とする頭に、経験の無い快楽が広がっていく。

突然、喉のつかえが取れる。
乾いた叫び声と共に、空気が一気に肺に入って来た。
雨を吸い込み、大きく咽る。
俺の上半身が跳ねると共に、モノを扱く手が早くなる。
「ほら、イけよ」
彼の冷淡な声に、目を閉じ、歯を食いしばった。
信じられないほどの、快感が打ち寄せる。
やがて全身が痙攣し、俺は果てた。


自分の精液が纏わり付いた手が、俺の頬を撫でる。
口の中に指を突っ込まれ、気持ち悪さに吐き気がした。
生臭い匂いが鼻の中に入り込み、不快感が心を萎縮させる。
無気力になった俺の顔に、彼はその傷を負った顔を近づけ、呟いた。
「・・・あんただけは、味方だと、思ってたのに」
憎しみの表情の中に、ふと寂しげな影が宿る。
俺が悪いのか?
俺に何が出来た?
そう思いながら、適当な言い訳すら浮かばない。

彼の手が顎にかかり、その顔が首筋に埋まる。
途端、身を震わせる痛みが襲った。
うなじの辺りに歯が立てられ、思いきり噛み付かれる。
声にならない叫びが漏れる。
「や・・・め、ろ」
痛む腕で彼の身体を引き離そうと力を込めるが、硬い痛みは止まない。
気を失う一歩手前で、痛みから解放された。
彼の笑みに、枷をかけられた気分になる。
恐怖も極限を超えると、全てに屈する諦めしか、残らないんだろうか。

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充足★(4/7)

まるで、身体中に水が染み込んでいくような感覚だった。
暗い闇の中に、水銀灯の光だけが仄かに輝いている。
相変わらず雨は強くて、見上げる空から次々と落ちてくる。
顔に当たる滴の感覚も鈍くなってきた気がする。
このまま眠りに落ちたら、全てを忘れられるだろうか。
そんな不毛な思考しか、もう浮かばなかった。

彼が去ってから、どれくらい経ったんだろう。
身体を避ける様に流れる水が、徐々に身体を冷やしているようだった。
空の機嫌を、雷鳴で感じる。
試しに起き上がると、酷い痛みが身体を駆ける。
確か、さっきから車の一台も通っていない。
ここが何処かも良く分からないまま、這うように、屈辱の場所を後にした。

濡れ切った作業服が、重りのように圧し掛かる。
急勾配の坂道を、足を引きずりながら、下る。
やがて、道の向こうに下品な色彩の照明がちらついてきた。
寂れた場所に良く似合う、古びたモーテル形式のラブホテル。
とにかく、横になりたい。
そう思いながら、所々破れたビニールの暖簾を歩いてくぐる。


部屋に入るタイミングを見計らうように、内線電話が鳴る。
「休憩ですか、宿泊ですか」
無愛想な男の声が、受話器から聞こえてくる。
「泊まりで」
「では、前金3000円をお願いします」
そう言うや否や、部屋の片隅にあるエアシューターに容器が送られてくる。
「ごゆっくり」
短い電話が終わり、部屋には静寂が訪れる。
濡れた札を容器に押し込み、フロントへ送る。
不快な感触の衣服を脱ぎ捨てると、幾らか気分が落ち着いた。

栓を捻ると、狭苦しいユニットバスに一瞬にして湯気が篭る。
細かな湯が、冷えた身体と心を、僅かながら溶かしてくれる。
曇った鏡に、彼の所業の印が映っていた。
自分からは見え辛い、けれど後ろから見れば一目瞭然の、他人の歯型。
夏も近いこの季節、隠すことも出来ない場所、それを分かっていたんだろう。

止めなかったことを、後悔していないと言えば嘘になる。
けれど、あそこで俺が止めようとすれば、同じ目に遭っていたことは間違いない。
ああするしかなかった。
自分を正当化する思考で、悔いを掻き消そうとすればするほど、身体が震えた。


風呂を出ると、エアシューターに容器が届いていた。
中には、簡素な手書きのマッサージのビラ。
一人客であることを、分かっているのだろうか。
頭を過ぎったのは、つまらない、不満解消の、連鎖。

フロントに電話を入れてから、部屋のドアがノックされるまで、時間はかからなかった。
戸口に立つ女を、俺はバスタオル一枚で迎える。
痣だらけの身体に怪訝な顔を浮かべ、彼女は部屋へ入ってきた。
歳は俺よりも上、30代の半ばと言ったところだろうか。
あまり化粧っけは無いけれど、スタイルは悪く無い。
「何分、しましょうか?」
自分の荷物をTVの脇に置き、彼女は髪を束ね始める。
俺は、ベッドに横になりながら、その問に答えた。
「・・・いくらで、やらせてくれんの?」

そんな質問は、慣れたものなのかも知れない。
さほど動揺を見せない彼女の視線が、値踏みをするように俺の身体を滑る。
しばらくすると、彼女は何も言わずに指を2本立てた。
「高いな・・・フェラだけで良いから、半分にしてよ」


温かく、柔らかい感触がモノを包む。
俺は寝転んだままで、上下に動く彼女の頭を眺めていた。
上半身だけ起こし、足を投げ出すように横たわる姿は、そこそこ色気がある。
脱がしたら、どうだろう、そんなことも妄想してみる。
それなのに、快感が身体に染み込まない。
くすぐったいような、もどかしいような感覚が、焦燥感を募らせた。

柔らかいままのモノを手で弄りながら、不満顔の彼女がぼやく。
「何なの?あんた、インポ?」
そんな訳無い。
ついさっき、男の手で、イかされたって言うのに。
彼女の顔が、下半身から上がってくる。
内出血の跡が無残に残る腹を撫でられると、軽い痛みが走った。
その手が首筋を滑り、歯形を捕らえる。
「・・・そー言う趣味、なんだ」
「んな訳、ねぇじゃん」
「あたし、別に、嫌いじゃないけど?」
不愉快な訳知り顔が、俺の顔に近づいて来た。
「セックスしたら、勃つかもよ?」
彼女の体重が身体にかかり、痛みが増してくる。
気分が、空になった。

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充足★(5/7)

生乾きの万札を乱暴に奪い、女は部屋を出て行った。
勝手に疼かされた身体を放棄されたのが、よっぽど気に入らなかったのだろう。
性欲が無くなった訳じゃ無い。
身体の痛みさえなければ、彼女とのセックスも拒むつもりは無かった。
どうして勃たないのか、自分でも分からない。

下品な妄想は、不得意じゃない。
試しに、さっきの女のことを考えてみても、ある程度興奮はしてくる。
けれど、何かが欠けてしまって、その隙間が埋まらない。
不意に、雨の中で受けた辱めが頭を過ぎる。
全身を覆った、未体験の感覚。
死への恐怖の中で味わわされた快感。
あれ以上のものを、身体が欲してしまっているのだろうか。

越智さんの薄気味悪い笑みが枷をかけたのは、心だけでは無かったのかも知れない。
自分の首を撫で、軽く圧迫してみる。
すぐに息苦しさがやってきて、恐怖心から手を離した。
それなのに、余白を塗りつぶすような、妙な満足感が残る。
外からは、まだ激しい雨音が聞こえている。
悶々とした身体と心を抱えながら、俺はベッドに潜り込んだ。


「すみません、ちょっと風邪引いちゃったみたいで」
早朝、タクシーの中。
親方に、そんな理由で休みを申し入れる。
「お前、体力だけが取り柄だろ?」
まだ乾ききらない作業服に違和感を感じながら、嘘を悟られないように、電話を続ける。
「ちょっと前からダルさはあったんですが・・・」
「仕方ねぇな・・・他の奴にうつされても困るし」
「ホントに、すみません。明日までには治します」
まぁ、無理するな、そう言って笑ってくれる声に安心した直後。
「そう言えば、お前、昨日のことは聞いたか?」
電話を落としそうになるくらい、腕の力が抜けた。

「え・・・何の、こと、ですか?」
動揺するなと言うのは、無理な話だ。
越智さん?武井さんたち?
どちらにしても、他人に喋る事が出来る話じゃない。
「組が、単価下げるって話をしてるんだよ」
急に安堵が襲うけれど、想像が杞憂に終わっても、鼓動は静まらなかった。
「そんな、いきなり、ですか」
「皆には話しておいたんだけど。お前、片づけでいなかっただろ?」
「・・・聞いてない、です」
「連中、相当おかんむりだったからな。ヤケ酒でも浴びなきゃ良いと思ってるんだが」
越智さんに刃が向けられた原因を、悟る。
豪快に笑う親方に、得も言われぬ罪悪感が募った。
「どうでしょう・・・俺が戻った時には・・・もう、誰もいませんでしたから」
「そういや、オレが帰る時、越智君が会社に戻って交渉してくるって話をしてたよ」
「何を・・・?」
「下げ幅を出来るだけ抑えたいってさ」
さほどの期待もしていないような、声だった。
「ま、お手並み拝見って、とこだな」
若手の彼に、本社との賃金交渉が上手く出来るとは思えない。
ただ、恩を仇で返された格好になった彼の心情を考えると、居た堪れなかった。


自分のアパートに戻ると、ホッとしたからだろうか、軋む痛みが全身を包む。
昨日とは打って変わった晴天の空が、眩しかった。
ベッドに座り、外をぼんやり眺めていると、まるで昨日のことが夢のように感じられた。
夜中にうなされ、何度も起きてしまったせいか、眠気が酷い。
もしかしたら、本当に風邪を引いたのかも知れない。
そのまま、倒れるように横になると、瞬く間に眠りに落ちた。

目を覚ますと、まだ陽は高かった。
携帯を見ると不在着信が1件。
現場事務所からだった。
俺がいなきゃ進まないような作業は無いはずだ。
用件の見当が付かないまま、折り返しの電話を入れる。

「お疲れ様です。朝倉ですけど・・・」
電話口に出たのは、派遣事務の女の子だった。
体調の件で一言二言交わした後、電話がかかってきた件を伝える。
替わりに出たのは、越智さんだった。
「親方から、病欠だって聞いたんで。大丈夫かと思って、お電話したんです」
休む理由くらい見当が付いているだろうに、何でもなかったように白々しい言葉を吐ける。
彼の闇に、寒気がした。
「・・・ええ、大丈夫です・・・明日には、出ますんで」
「そうですか」
瞬間、その口調のスイッチが、切り替わったようだった。
「逃げたのかと、思ったよ」
「な・・・」
口ごもる俺を嘲笑うかのように、彼は言い捨てる。
「どーぞ、お大事に」

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充足★(6/7)

全ては無かったことのようだった。
嵐の直前、階段で空を見上げてから、今に至るまで。
1日休んだだけの現場は、当然のことながら何も変わらず
武井さんの軽口も、越智さんのおどおどした口調も、そのままだった。
俺がそう望んでいたから、そう目に映ったのかも知れない。
ただ、彼と俺の顔に残る傷だけが、それが現実だったということを突きつける。

昼休憩の際、首に巻いていたタオルを、つい癖で取ってしまった。
「何だ、それ?女にやられたのか?」
首筋に残る赤い斑点を目ざとく見つけられ、当然のように突っ込まれる。
「いや、別に・・・」
「目立つところに付けるなんて、意外に激しいプレイしてるんだな」
先輩連中は、そう言って笑いの種にしていく。
俺は愛想笑いで、その場を誤魔化す。
視線を泳がせると、こちらを見て僅かに微笑む彼の姿が目に入った。
薄ら寒くなる。
身体の痛みは、まだ引かない。
そして、彼に付けられた枷も、まだ、取れない。


病み上がりの俺に気を遣ってくれたのか、今日は軽作業を任された。
その代わり、と言うことで、作業後の後片付けを買って出る。
あの日とは違う、夕焼けの赤い光が、空洞の窓から差し込んでいた。
一通り片づけが終わったところで、いつもの階段で一服を済ます。
この天気なら、歩いて帰るのも気持ち良さそうだ、そんな風に考えていた。

誰かの靴音が背後から聞こえ、思わず振り返る。
そこにいたのは越智さんだった。
緊張で、顔が強張った。
「お疲れ様です」
「・・・お疲れ、です」
「もう、帰られるでしょう?」
「ええ・・・」
ガタイが良い方でも無いし、背が高い訳でもない彼が、とてつもなく大きく見えた。

「この間は、すみませんでした。・・・置き去りにして」
彼の顔には、冷たい笑みが満ちている。
「僕が、風邪、引かせちゃったかな」
何も言えなかった。
そこに至る過程の責任は俺にある、自業自得だ、と彼は思っているのだろう。
確かに俺自身も、その罪悪感が拭えずにいる。
「・・・こちらこそ、すみませんでした」
「何が?」
「・・・何も、出来ず」
豹変の合図かのような、鼻で笑う声が聞こえる。
「ホントに悪いと思ってんの?」
「思って、ます」
「じゃ、土下座してくれる?そこに」
彼は、床を顎で指し示す。
どうして、俺が。
不満を顔に出さないよう、俺はその場に座り、床に頭を下げた。

近づいてくる足音が聞こえ、低い視線に靴先が入り込んでくる。
その硬い感触が顎に当たり、上を向かされる。
夕陽を受けて赤みがかった、勝ち誇ったような彼の顔が、目に焼きついた。
「やっぱ、ダメだわ」
彼はそう言って、口角を上げる。
悔しさで顔が歪むのを必死に耐えた。
「同じ目に遭わさないと、気ぃ済まない、かな」

残作業があるのだろうか、上のフロアからは、まだ工事の音が聞こえてくる。
その音が遠くなっていくような気分だった。
ひれ伏し、身体を震わせる俺に、彼は問いかける。
「事務所戻りましょうか。もう、誰もいないと思うんで」


電気が消され、薄暗くなった事務所の中。
背後で、ガラスの引き戸が勢い良く閉められた。
怒りを向ける方向が違うだろう?
そんなわだかまりが、つい言葉を吐き出させる。
「・・・俺は、そんなに、悪いこと、しましたか」
安全靴の重い音が近づいてきて、すぐ後ろで止まる。
跡の残る首筋にそっと手を添えられ、身体がビクついた。
「どうすることも出来なかったことぐらい、僕にも分かります」
まるで癒すかのように、その親指が傷を撫で続ける。
「もし、同じ立場なら、僕もああするしかなかったと、思います」
「なら、どうして・・・」
「もやもやした気分が、どう思考を巡らせても、晴れないんですよ」
「俺を、何とかすることで、その気分が晴れると・・・?」
「さぁ、どうでしょう」
彼の手が腰に下がり、そのまま前へ押し出すように力が入る。
前のめりになりながら、俺の身体は事務所の奥へと追いやられていく。
「ただ、少なくとも」
目の前に壁が迫る頃、彼は再び変化を見せる。
「あんたに矛先を向けてる間は、すっきりする、気がするんだ」

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充足★(7/7)

強い者が、弱い者を虐げる。
弱い者が、更に弱い者を虐げる。
脈々と続く、最低な摂理。

壁を背に座らされた俺の前に、彼がしゃがみ込む。
同じ高さになった視線を合わせないよう顔を背けると、彼の手が首に食い込んで来た。
苦しさで、思わずその腕を掴む。
俺の力が強くなるにつれ、首の圧迫感も大きくなる。
抵抗しようにも、声にならない。
「この間の、あんたの顔、すごい興奮したんだよね」
もう片方の手が、俺の下半身をまさぐり始める。
その気配が、身体に妙な感覚を走らせた。
恐怖と苦痛、その中に微かな期待と高揚が混ざり込んで来る。
「もう一回、見せてよ」
服の上からモノを擦る彼の手、それを掴む俺の手に、力が入らない。

本当に、俺は、こんなことを望んでいたのか。
女のフェラで全く勃たなかったモノは、ごく僅かな時間で反応をし始める。
「早いね」
楽しそうな声が、耳元で響く。
「ヤバいプレイに、目覚めさせちゃったかなぁ」
視界が潤み、自分がどんな表情をしているのかも分からなくなってくる。
遠のく意識と、襲い来る快感で、身体がおかしくなりそうだった。
いきり立ったものが開放され、視界にぼんやりと浮かぶ。
親指で捻るように先端を擦られ、酷く抑圧された声が漏れる。
口の端から唾液が垂れ、首筋にかけて不快な感触を残していく。
モノを扱く手は緩慢で、俺の反応を見て愉しむ時間を引き延ばしているようだった。

彼の表情が、ふと歪む。
快楽を与えていてくれた手が、離れていく。
その手を俺の作業ズボンに擦り付け、彼は自らの携帯電話を胸ポケットから取り出す。
着信しているようだった。
それなのに、俺に死の恐怖を植え付ける手の力は弱まらない。
彼は一息つくと、その電話に応え始める。
徐々に遠のく意識の中、焦燥感だけが膨らんでいく。
残酷な時間は、なかなか終わらなかった。

「そうですか、ありがとうございます。・・・失礼します」
冷静な口調で発せられる言葉が、時間の終わりを告げる。
おぼろげな視界の中に、彼の満足そうな顔が映った。
「焦らされて、どんな感じ?」
その言葉が、屈辱という感情を押し流す。
待ち切れない、そんな思いだけが、彼に懇願の視線を向けさせた。
蔑むような表情が、付けられた枷を更にきつくする。
彼の手が近づき、僅かに触れた瞬間、俺は絶頂を迎えた。


前髪を掴まれ、顔を上げさせられる。
口を半開きにし、虚ろな目のまま、彼を見た。
「気持ち良くして貰ったんだし」
彼の唇が、耳に触れる。
「悪いと思ってんなら、オレのも、しゃぶれるよな?」

しゃぶるというよりは、ただ受け容れるだけの行為。
膝立ちになり、背中を反るように壁につけた状態で、彼のモノを口で受け止める。
目の前で、短い声を上げながら、壁に手をつき腰を振る彼。
激しい動きにつられて、俺の頭は何度も壁に打ち付けられる。
首を絞められるのとは違う苦しさが、脚を震わせ、痺れさせた。
「ああ、これ、すげ・・・」
そんな言葉が頭上から降ってきて、思わず視線を上げる。
目を閉じて、刺激に耐える彼の表情が目に入る。
あまりにも無防備で、本能的なその姿に、何故か心が動かされた。

喉の奥まで勢い良くモノを突き立てられ、視界に星が散る。
ピークが近い、そう感じた瞬間、彼はイった。
精液が口の中に満たされ、納まりきらない液体が、鼻の中にまで入り込む。
彼が離れていくと同時に、崩れるように上半身を床に投げ出し、それらを吐き出した。
幾ら咳をしても、不快な味覚が剥がれない。
気持ち悪さで、涙が出て来る。
「ごくろーさん」
そう言って、彼は事務所のトイレへと入っていった。


壁越しに聞こえる水音が止むまで、俺はその場に座り込んだままだった。
男に陵辱された男の気持ち。
言い知れない悔しさと、恥ずかしさ、そして恐怖。
貧困な想像力でも挙げられる答えの中に、今、俺が抱えている感情は含まれていない。

トイレから出てきた彼は、俺に近づき、手を差し伸べてくる。
その手を取って立ち上がり、入れ替わりでトイレに入った。
顔を洗い、うがいをし、服装を整える。
鏡に映る自分の顔は、まだ紅潮が抜けきらず、昂りの気配を覗かせている。
分からない、どうして、こんな気分になるのか。

ロッカーの側にしゃがみ込んで床を拭いている彼に、背後から声をかける。
「・・・すっきり、しましたか?」
「いえ・・・やっぱり、これじゃ、ダメみたいです」
彼は動きを止め、ゆっくりと立ち上がる。
そのまま振り返らず、俺に問いかけた。
「朝倉さんは・・・満足、しました?」
言葉が出なかった。
吐き出せない戸惑いが、彼に通じたのかも知れない。
「・・・僕と、同じですね」
振り返った彼の寂しげな表情が、胸に刺さった。

彼と俺の心の奥底に仕舞い込まれた感情。
それは、男に身体を犯されることで芽生える充足感。
震える手が、俺の手を捕らえ、握る。
自らを苦しめる欲求を満たす為には、互いの存在しか有り得ないのだろうか。
彼の視線を受け止めながら、思う。
次は、俺が、枷をかける番だ。

□ 26_充足★ □   
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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