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自由★(1/9)

「今日も、遅くなりそうなの?」
「ああ、今が追い込み時期なんだよ」
「そう・・・いってらっしゃい」
スーツ姿の彼女に見送られ、作業服姿の俺は家を出る。
結婚して5年、子供はいない。
もうお互い40歳を過ぎたこともあり、今後も作ることは無いだろう。
それは結婚する前から話していたことだから、特に不満は無いけれど
夫婦の関係が既に惰性になって来たのは、それも一つの原因なんだろうと思う。

「おはようございます」
「おはよう」
自宅マンションの下に停まっていた車に乗り込む。
運転しているのは、部下の三谷だ。
今、常駐している現場は、千葉の郊外にある精密機械工場。
電車では行きにくい場所と言うこともあり、毎朝車で出勤している。
俺も車は持っているが、三谷とそれほど家が離れていないこともあり
彼の車に同乗させて貰う形になった。
運転手をさせているようで、何となく決まりが悪いのだが
部下なんだから当然です、と彼は笑う。


「明日、施主打合せだっけ?」
「そうですね。一通り図面は出来てますから、大丈夫だと思いますけど」
「東棟のファンの位置が気になるんだよな」
「騒音値ですか」
「シミュレーション結果だと、ギリセーフだから」
「突っ込まれそうですね」
俺が現場で担当しているのは、工場の機械設備設計。
目下の懸案事項は、屋上に設置する排煙ファンの騒音だ。
住宅地からは離れているとは言え、条例で定められている騒音値をクリアしなければ
行政との開発協議でOKが出ない。
施主にしてみれば、揉め事はなるべく控えたいのは当然のこと。

「でも、屋上はもうスペース無いですよ」
「スクラバずらして貰うかな」
「プラント屋が嫌な顔しますよ。きっと」
工場の屋上には、実に様々な機器が乗っかっている。
あくまでプラントがメインだから、ファンの為にずらせなんて言う事が通るとは思えないけれど
とりあえず、今日はその検討協議がメインだろう、そんなことを考える。
「念の為、条件軽くしてもう一回計算してくれる?」
「分かりました」


若干誤魔化しを入れた計算結果と、侃々諤々の末に手に入れた設置位置を携え
渋い顔をした施主との打合せに望む。
その表情の理由は言わずもがな、設計作業が当初のスケジュールから遅れている為。
「トウワ建設さんなら、しっかり進めてくれると思ってるんだけどねぇ」
「各設備での連携が上手く進まないもので」
設計統括である土浦部長の、責任転嫁な一言。
日頃から風当たりが強いとは思っていたが、この期に及んで、その発言か。
「その辺どうなの?城野さん」
不毛な責任の擦り付け合いは、止めておきたい。
「多少の懸案はありますが、大きくスケジュールに影響するものでは無いと思っています」
「予定通りに進められるって事?」
「後は、設計各部署での調整を都度、取っていけば大丈夫かと」

実際、一番遅れているのは意匠設計だ。
機械・電気・プラントの各設備が工場の中核部分とは言え
それを分かっているからこそ、全体工程に影響しないよう、進めてきている。
意匠設計の責任者である仲道は、それを分かっているんだろう。
さっきから、一言も発しない。
ゼネコンの課長クラスの人間が雁首揃えても、この程度の打合せなのか。
こういう機会がある度に、そう思ってしまう。
俺は上に立つよりも、現場で設計業務についている方が向いてるんだろうと実感する。

「城野、ちょっと」
抱えていた懸案とは別の次元で憂鬱だった打合せが終わる。
皆が無言のまま現場事務所に戻る途中、土浦統括に声をかけられた。
「何でしょう?」
「お前、あんまり立て付く様な真似するなよ?」
「別に、そう言ったつもりはありませんが」
「とにかく、オレの言うことを聞いておけば良いんだよ」
「・・・もう少し、全体の進捗を把握された方が良いんじゃないですか」
俺の一言を聞いて、彼は面白く無さそうな顔を歪める。

「止めとけ、城野」
後ろから見ていた仲道が、不穏な雰囲気を感じたのか仲裁に入る。
「ウチが足を引っ張っているのは、確かですから」
統括に向かって、彼は力無い声で言う。
「ここで、揉めてる場合じゃ、無いでしょう」
自分の部下に諌められ、統括は更に機嫌を悪くする。
無駄な時間を使いたくない、そう思い、俺は急ぎ足で事務所へ戻った。

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自由★(2/9)

時計の針は、もうじき12時を指そうとしている。
仲道は部下を先に帰し、一人で作業をしていた。
「まだ、かかりそうなのか?」
「ああ、上手く収まらない場所があってね」
「スケジュール押してるからって、あんまり無理するなよ?」
「分かってる、もう少ししたら帰るよ」
俺と奴とは同期で、もう随分長い付き合いになる。
今でこそ部署は違うけれど、入社当時は切磋琢磨し合う様な間柄だった。

「仲道さん、大分お疲れみたいですね」
「規模に対して、人が少な過ぎるんだろう」
「中堅クラスが、もう一人二人いれば、楽になるんでしょうけど」
「統括のプレッシャーも、半端無さそうだからな」
帰りの車の中、俺のその言葉で、三谷が意味ありげな笑みを見せる。
「・・・何だ?」
「城野さん、また土浦統括と揉めたそうですね」
「揉めたって程じゃないよ」
「すぐ分かるんですよ。僕らにも当たりがきつくなるから」
呆れたような笑い声を上げて、部下はそう言う。
大人気ない上司の行動で迷惑を掛けていることを後悔するのは、何回目だろう。
部下を持つ立場としての自覚が、まだ足りないんだろうか。


30分も走ると、俺の家が近くなる。
信号で停車した車の外をふと見ると、道を歩く2人の影が目に付いた。
その一人は妻だった。
夜の街を歩く彼女と見知らぬ男は、まるで本物の夫婦のようで
じゃあ、それを見ている俺は何なんだ、そんな思いが去来した。
「・・・三谷、現場に戻れ」
「何か忘れ物ですか?」
「いいから」
程なく、車は元来た道を引き返す。

妻とは社内恋愛の末の結婚だった。
会社の古い体質からか、夫婦で同じ会社に籍を置くことは許されず
妻は、退社することとなった。
設計畑で一線を走り、一級建築士の資格を持っていた彼女は他社からも引く手数多だったけれど
30半ばの転職だったからなのか、正社員として勤めることは、結局出来なかった。
今は、ウチの子会社で、契約社員として働いている。
キャリアを積んできた彼女にしてみれば、きっと不満もあるだろう。
そう思って、多少気を遣うところもあった。


現場事務所には、もう電気は点いていなかった。
仲道も帰ったようだ。
車の中で無言だった三谷が、怪訝な表情をして口を開く。
「どうしたんですか?」
家に帰るような気分ではなかった。
夜の街灯に照らされた妻の顔を思い出す。
あんな顔、もう随分見ていないような気がする。
薄々感じていた距離感を、改めて突きつけられた、そんな思いだった。

「お前、結婚しないの?」
窓を開け、煙草に火をつける。
部下の顔は、突然の質問で更に混迷の色を増していった。
「・・・いきなり、何ですか?」
「どうなんだよ」
「別に、今はそんなこと考えて無いですね。相手もいないし」
「女紹介してやったら、結婚する気ある訳?」
ふぅ、と言う小さな溜め息が聞こえる。
「奥さんと、何かあったんですか?」
俺がこう言った絡み方をする時は、決まって妻と上手く行っていない時。
こいつは、それを良く知っている。

「もう、ダメかも知れないな」
「・・・いつもそう言って、結局はちゃんと鞘に戻ってるじゃないですか」
些細な言い争いはしょっちゅうだから、きっと今日もそうだと考えているのだろう。
「帰らないと、奥さん心配しますよ?」
困った顔の三谷を見て、急に鬱憤が募る。
「心配なんかしてねぇよ」
「どうして?」
「他の男と、一緒だ」
語気を荒げた俺に、部下はかけるべき言葉を探している。
この思いを、何処にぶつけて良いのか。

「俺さ、もう随分セックスレスなんだ」
「・・・はぁ」
「お前、抜いてくれよ」
「えっ・・・」
言葉を失った三谷の、暗がりの中の顔は、明らかに怯んでいた。
言うことを聞かざるを得ない立場を分かっていながら、非道な要求をした自分が、心底嫌になる。
何も言わず、小さく震えて俯く部下の姿を見て、正気を取り戻した。
「・・・冗談だ。車、出せ」
そう声をかけると、ふと顔を上げ、こちらに視線を移す。
不意にシートベルトを外す音が聞こえ、三谷の震える手が、俺の頬に触れた。
「やります・・・」
常夜灯の薄い光を受けた目が徐々に近づいてきて、身体が固まる。
思わず、息を飲んだ。
寸前に見せていた物怖じした表情は、何か別のものに変わっていて
それが何なのか気がつけない内に、俺は部下に唇を奪われた。

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自由★(3/9)

久しぶりの、他人の唇の感覚。
男のものだと分かっていても、その柔らかな触感に、不思議な気分になる。
薄く目を開けてこちらを見る三谷の表情が、別人のように見えた。
程なく、唇と、顔が離れていく。
突然のことに緊張が隠せない俺の左手を、部下の右手が掴む。
自分の顔に寄せたかと思うと、薬指に嵌っている指輪に口付けた。
「・・・城野さんの言うことなら、何でもします」
僅かにシートが倒され、部下の身体が俺の下半身へ埋まって行く。
「おい、三谷」
動きを制すべく向けた手が、俺を見上げる視線で止まる。
「させて、下さい」
作業ズボンのベルトが外され、ジッパーが下げられた。
トランクスの上から、モノに唇が触れる。
不実な行為を直視できず、目を閉じた。
くだらない憤りから発してしまった言葉が、こんなことになるなんて。

薄い布の上から、ゆっくりと唇で擦られる。
先端が口で柔らかく挟まれ、背筋に軽く電流が走る。
身を捩る度にシートベルトが食い込んで来て、それが妙に身体を高揚させた。
やがて、手が中に入ってきて、直接触れられる。
少し熱を帯びたモノが、冷たい手の感触で緊張感を増す。
下着の縁からはみ出した先端部分に、舌が触れ、つい声が出た。
多分、キスよりも、もっとご無沙汰していた快感。
シートを掴む手の力が強くなる。
車の中には場違いな水音が微かに聞こえてきて、身体が熱くなった。

モノがひんやりとした空気に触れ、今度は手で扱かれる。
怒張していることは、見なくとも分かった。
作業服とワイシャツが一緒にがたくし上げられ、腹の辺りに舌の感触が滑る。
前屈みになる体がシートベルトを引っ張り、カツン、と言う金具の音が響く。
俺の手が掴むものは、自然とシートから三谷の肩に替わった。
掌の感触が、脇腹から胸へと上がって行く。
俺の身体に吸い付いたような、部下の顔に手を伸ばす。
口の周りをうっすら濡らし、上目遣いで見るその顔に、思いも寄らず欲情に駆られた。
「・・・どう、ですか?」
「ん・・・いい」
満足そうに目を細め、再び、俺のモノは口の中に納まる。
震える身体に、快楽が染みて行く。

下半身に神経が集中して行き、絶頂が近いことを感じる。
上下に動く三谷の頭を、軽く抑えた。
刺激を与えてくる器官が、再度手へ変わる。
俺の身体を抱きしめるように部下の腕が背中へ回り、上半身同士が密着する。
一気に扱き上げられ、上ずった声と共に、俺はイった。


行為の形跡が、ティッシュで丁寧に拭き取られていく。
余韻が残る身体をシートに埋め、今更のようにシートベルトを外した。
肩に残る仄かな痛みが、背徳感情を呼び起こす。
「飲み物買ってきますけど、コーヒーで良いですか?」
「ああ」
独りになった車内には、得も言われない匂いが充満していて
窓を全開にし、外気を入れる。
煙草に火を点けると、煙が真っ暗な闇に吸い込まれるように流れていった。

遠くから、自販機の飲み物が落ちる音が聞こえて
続いて、何かを吐き出すような音がする。
程なく三谷が戻って来た。
「ブラックで良いんですよね?」
「ありがとう」
シートに座り一息ついた部下は、外に視線を向け、しばらく無言のままでいる。
コーヒーを一口含むと、その苦味が、ぼんやりした意識を取り戻してくれた。
「城野さん」
「・・・ん?」
「一つ、お願いがあるんですけど」
相変わらず外を見たままの彼の表情は、分からなかった。
「何だ?」
居心地の悪い、間が空く。
煙草を一本取り出したタイミングで、呟く声が聞こえた。
「もう一度、キス、して良いですか」

俺が要求した行為と、三谷が要求してくる行為。
それぞれ不徳なことには変わり無いけれど、そこにある意図は全く違うものに思えた。
性的欲求を満たすだけの行為と違って
キスと言う行為には、何かしらの感情が込められている。
あの行為も、それの延長だったのかも知れない。
マズいところに足を踏み込んだ、そんな後悔に苛まれる。

声を発しない俺の様子に、答えを察したのだろう。
三谷はキーに手をかけ、エンジンをかけた。
「すみませんでした。・・・帰りましょう」
こちらを見て、笑顔を見せる。
その表情と、行為中に俺を見上げた顔とが重なった。
不埒な思いが、欲望を突き動かした。

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自由★(4/9)

ギアにかけた手を抑える。
逆の手で三谷の襟元を掴み、ハッとした表情の顔を引き寄せた。
寸前で小さく呼吸を整えて、そのまま唇を重ねる。
部下は、眉間に皺を寄せた切ない視線を向けた後で、目を閉じた。
頭に手を回し、唇の間に舌を割り込ませる。
僅かに顔を歪め、くぐもった声を上げながら、彼の口はそれを素直に受け容れる。
鼓動が早くなるのを感じながら、舌を絡めあう。
モノを咥えられるよりも、遥かに大きな高揚感に包まれた。

唇を離すと、部下の口は名残惜しそうに半開きのままになる。
薄く目を開けた彼に、俺は問いかけた。
「これだけで、いいのか?」
「・・・十分です」
そう言って、俺から離れていく。
「わがまま言って、すみません。ありがとうございました」
部下が抱えている感情の名前を、俺は聞く勇気が無かった。
ただ、ついさっきまで無かった類の感情が、俺の中に産まれている様な気がして、怖かった。


家に帰ると、妻は既に眠っていたようだった。
物音で、俺の帰宅に気がついたらしい。
「・・・遅かったわね」
彼女はベッドの中から、そう声をかけてくる。
「ああ、ちょっと」
「大変ね、現場は」
夜の光景が、脳裏に浮かんだ。
他の男と楽しそうに歩く妻と、切ない表情で俺を見上げる部下。
戸惑いで一杯になりながら、俺は布団を被った。


日を経るごとに、現場の慌しさは増して行った。
ある朝、いつものように三谷の車で出勤すると、駐車場には既に何台かの車があった。
その中で1台の車が、エンジンをかけたままで停まっている。
仲道の車だった。
側を通りかかり、その異変に気がつく。
ハンドルにもたれかかり、苦しそうにえずいている仲道がいた。
「おい、どうした?」
ドアを開け、声をかける。
「何か・・・妙に、気持ち悪くて、頭が痛いんだ」
顔が青く、全身が震えている。
この症状は、前にも見たことがあった。
そうではない事を祈りながら、同僚を助手席側に移し、俺はそのまま車に乗り込んだ。
「三谷、統括に伝えておけ。仲道を病院に連れて行くって」

5分ほどで、現場近くの救急病院に着く。
受付に症状を伝えると、仲道はストレッチャーに乗せられて、検査室へ入っていった。
車を病院の駐車場に入れていると、携帯に電話が来る。
土浦統括からだった。
「仲道は、どうなんだ」
「今、検査中です」
「お前、しばらくそっちに付いていられるか?」
「今日の工程は三谷に指示してありますので、大丈夫です」
「じゃ、また後で連絡してくれ」

CTスキャンとMRIの検査が終わり、医者から症状が伝えられた。
軽度の脳内出血。
幸い出血量は少なかったようだが、しばらくの入院は余儀なくされる。
そして、何らかの障害が出るかも知れない、と医者は言った。

前にいた現場でも、同じ症状で病院に担ぎ込まれた者がいた。
彼の場合は、仲道よりももっと深刻な状態で
結局、現場に復帰できないまま、退職してしまった。
極度の過労とストレスが原因と言われていたが、会社がそれを認めることは無かった。

検査結果を現場へ連絡すると、統括は、家族に連絡しなきゃな、と呟いた。
部下の悲劇が、彼の高圧的な態度を吹き飛ばしたようだった。
俺は仲道の車に乗り、現場へ戻る。
同じ歳の同僚の状況を目の当たりにして、薄ら寒くなりながら
現場の混乱をどうやって収拾するのか、そんな不安に駆られていた。


仲道が倒れてから2日後。
意匠設計の応援と言うことで、人員が投入された。
取り纏めを担当する、本社からの中堅クラス社員が1人と、子会社の社員が2人。
顔合わせと称した、各部署の責任者を集めた打合せの場で、俺は思わず肝を冷やす。
新顔の中に、見知った顔があったからだ。
仕事上の付き合いじゃない。
あの夜、妻の隣を歩いていた男が、打合せ机の向こうで俺を見ていた。

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自由★(5/9)

男は、佐賀と名乗った。
俺よりも、幾らか若いくらいだろうか。
子会社の意匠設計部の係長だという。
それは、妻が所属している部署だった。
「妻が、世話になっているようで」
「ええ、城野さんには、いつも助けられてますよ」
そう愛想笑いを浮かべる男に、俺は何処か卑屈になる。
こんな奴に、妻を取られる?
冗談じゃない。
そんな風に思える気概は、正直無かった。

佐賀は確かに仕事が出来た。
彼の力だけでは無いが、遅れがちだった意匠設計は概ねスケジュール通りに戻り
仲道を失った混乱は、大分収まってきていた。
事務所内に打ち解けるのも早く、中でも何故か、彼は三谷によく話しかけていた。
何を話しているのかは気になったけれど、詮索しているのを感づかれるのも嫌で
三谷との行き帰りの車中でも、それを話題にすることは無かった。
彼は、そんな俺の心情を分かっていたのかも知れない。


それから1週間ほど経った夜。
現場事務所の外にある自販機に飲み物を買いに行った際
帰宅しようとする佐賀と鉢合わせした。
「お先に失礼します」
「お疲れ様」
短い挨拶を交わし、事務所へ向かう俺の背中に向かって、彼は話しかけてくる。
「そろそろ、彼女の手を離してくれませんか?」
今が対峙する時なのか、そんな風に思いながら、俺は彼の方へ向き直った。

佐賀の顔は、明らかに勝ち誇った表情をしていた。
仕事中には決して見せない雰囲気だった。
俺は動揺を外に出さないよう耐える。
「破綻した結婚生活続けても、仕方ないんじゃないですか?」
「君に、何が分かるんだ?」
「知ってるでしょう?私と彼女が付き合ってるの」
よくも、その女の夫の前で、平然とそんなことが言えるもんだ。
「彼女の気持ちは、もう、貴方にはありませんよ」
「だから?」
「世間体の為だけに、彼女を引き止めないで下さい」
図星を突かれて、俺は一瞬言葉を失った。
離婚しないのは、確かに体面が悪くなることも一つの原因だった。
つまらないことに付き合せている、そんな申し訳ない思いが湧き上がる。

「貴方も、他に女がいるんでしょう?」
「はぁ?」
「彼女、言ってましたよ。貴方の心の中にも、自分と違う誰かがいるって」
心当たりが無い、はずだった。
なのに、後ろめたい気分が貼り付いて離れない。
「そんなの・・・あいつの勘違いだろ」
「そうですかね」
灯りが点いた事務所の窓を見やり、再度俺へ視線を移す。
「ま、女とは限らないのかも知れませんけど」
「何、言ってるんだ?」
「三谷君とは、随分仲が良いようですね」
まさか、三谷が何か喋ったのか?
周りの人間への信念が、徐々に削られていく。

「付き合いの長い上司と部下ってだけで、そんな目で見られるのか?」
「彼は、そうは思ってないみたいですけど?」
「馬鹿らしい」
「彼に聞いてみたらどうですか」
あの夜の、部下の表情が頭を巡る。
そして、俺の中の感情が、揺れた。
「とにかく、早めの決断をお待ちしてますよ」
歪んだ笑みを見せる佐賀は、去り際に言葉を吐いていく。
「親会社の課長代理の奥さんを寝取れるなんて、最高ですね」
あいつはこれから、妻と会うのだろうか。
つまらないプライド、くだらない世間体。
何か、全てが虚しかった。


今日も、事務所を出るのは最後だった。
いつものように、部下の車に乗り込む。
「三谷」
「はい?」
「お前、佐賀に何話したんだ?」
「えっ・・・」
表情に、動揺が広がる。
「俺のこと、何か話したんだろう?」
「特別なことは、何も」
「あいつ、俺らがデキてるって思ってるぞ」
自分で言って、思わず鼻で笑ってしまった。
俺の態度とは相反するよう、運転席に座った部下は、俯き加減で力なく言う。
「そんな、何も、そんなこと言ってません・・・」

すみません、と何度も繰り返す姿を見て、その感情を確信する。
佐賀は、三谷の言葉の端々から、何かを感じたのだろうか。
ともかく、彼の勘は当たっていた。

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自由★(6/9)

世の中には、知らない方が幸せなこともある。
妻の不倫と部下の恋慕。
一度知ってしまったら、もう知らないふりは出来ない。

車中の沈黙を、部下の声が破る。
「僕は・・・どうしたら良いですか」
思いつめた表情を見て、自らの不甲斐無さを思い知る。
妻との今後も、部下との関係も、全て俺が結論を導かなければならないことだ。
それなのに、この辛苦から逃れる為の術を、未だに求めている。

「あなたの部下でいる資格は、僕には、無い」
「何?」
「このまま、消えてしまいたい・・・」
何もかもが終わったような薄笑いを浮かべ、三谷が呟く。
うな垂れた部下の頭を、自分の胸に抱き寄せた。
腕の中で震える部下は、何も言わずに身を預けている。
彼女の人生、俺の人生。
何年も同じ道を歩んできたはずなのに、一体、何処で逸れてしまったんだろう。

頬に手を当て、上を向かせる。
怯えた様な目をした部下が、俺を見た。
「・・・僕の、せいですか?」
揺らぐ声で、彼は聞く。
「ああ、お前のせいだ」
頬から首元へ手を滑らせ、顎を突き出させる。
「こんな気持ちに、させやがって」
そのまま俺は、自分の意思で、部下と唇を重ねた。

運転席側のシートベルトを外し、シートを緩やかに倒す。
「・・・城野さんっ」
覆い被さるような体勢になった俺に向かって、三谷は脅えたように声を発した。
「違うんです・・・」
「俺のこと、そう言う目で見てるんだろ?」
部下は動揺した表情で、言葉を失ったまま唇を噛む。
その額に手を当て、前髪を掻き揚げる。
震える顔は、熱を帯びていた。
「キスだけじゃ、物足りないんだろ?」
「そんなこと・・・僕は・・・」
作業服のボタンを、上から外していく。
弱弱しい力で、三谷はその腕を掴んだ。
「僕は、城野さんの側にいられるだけで、良いんです」
手の力が、僅かに強くなる。
「人生にまで入り込もうなんて、思って、無かった」


その言葉で、決心がついた。
「もう、遅い」
部下の手を振り解き、作業服の中に手を入れた。
布越しに上半身をまさぐると、軽く体を捩る。
唾を飲み込む音が聞こえた。
ワイシャツのボタンに手をかけると、未だ緊張の解けない部下が口を開く。
「許されるんですか・・・こんなこと」
「誰かに許しを請う必要なんて、あるのか?」
妻と、佐賀の顔が浮かんだ。
そんな必要は無いと、自分に言い聞かせる。

ワイシャツの下のTシャツを捲くり、露わになった胸元に唇を這わせた。
頭上で、深い吐息を感じる。
痩せぎすの身体を、掌と唇で静かに愛撫する。
早くなる鼓動を、顔に触れる身体から覚った。
小さく反応する身体を擦り続けていると、三谷は目を伏せ、小さく首を振る仕草を見せる。
「嫌なのか?」
「・・・怖いんです」
「何が?」
「これ以上・・・」
目は、困惑を宿していた。
急に不安になる。
ためらわれることに、手を離されるような感覚を覚えた。

「三谷、キスしてくれよ」
俯いた顔に、手を触れる。
「・・・もっと奥まで、入り込んで来い」
しばらくの沈黙の後、彼の手が俺の頬を包む。
苦悩に喘ぐ視線が、刺さった。
ゆっくりと顔が近づいてきて、一瞬唇が触れ、離れていく。
「・・・はい」
部下はそう答え、再び唇を重ねる。
柔らかい感触が、心に沁みた。
しかし、目を閉じた顔から、真情を読み取ることは出来なかった。

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自由★(7/9)

カーセックスの経験が無い訳じゃ無い。
いつも思うが、どうにも体勢が悪くて、なかなか思い通りには出来ない。
相手が女の場合はまだ納まりも悪くないが、男を相手にしてとなると、状況は更に悪化する。
いろいろな場所に身体がぶつかり、もどかしさが募る。
けれど、それがまた、違った興奮を呼ぶ。

胸元を唇を愛撫しながら、身体の後側に手を入れ、背筋に沿って腰の方まで滑らせた。
部下の身体は僅かに反り気味になり、上半身の密着感が増す。
間近に迫った乳首を舌で転がしてやると、明らかな反応を見せる。
指と舌で弄る内に、吐息に混じる小さな声が聞こえるようになり
彼の手が、俺の肩を掴む。
俺も、彼も、気分が徐々に上がっていくのを感じていた。

人差し指で三谷の口元を触る。
「舐めて」
そう言って見上げると、彼は指を咥える。
爪の先から間接を辿って根元まで、温かく濡れた感覚が包む。
快楽に溺れるような息使いと小さな水音が聞こえた。
その指で、肋骨が幾分浮いている脇腹をなぞって行く。
妙な感覚が、彼の中でどう変換されているのかは分からなかったけれど
胸からみぞおちへと下がって行く舌の感触と共に、昂りを呼んでいるのは確かだった。


作業ズボンのベルトを外す音が車内に響くと、三谷の身体が強張るのが分かる。
後ろに回した手をズボンの中へ入れ、尾てい骨辺りを撫でると、腰が自然と浮き上がった。
布越しに感じる部下のモノは、明らかに硬くなっている。
根元から撫でると、部下は切なく、薄い声を上げた。
ねだるような目に吸い込まれるよう、キスをする。
半分ほど開いたその目は、あの夜、垣間見た表情。
欲望に憑かれた部下の顔だった。

差し出された舌に吸い付く。
喉の奥からするくぐもった声が、俺の耳の奥まで浸透してくる。
荒い息遣いを間近で感じ、気持ちが昂った。
焦らすようにモノを弄る手を緩めると、寂しげに眉をひそめ、自らの手を俺の手に添えてくる。
顔を少し離し、その反応を確かめるように、目を見つめる。
口を閉じて焦燥感に悶える部下を、ちょっと邪険にしてやりたくなった。

「どうした?」
耳元で、そう囁いた。
俺の手に添えられた手の指が、もがく様に小さく動く。
先端を摘んでやると、ビクンと身体を震わせる。
「我慢できないのか?」
触れているだけで、徐々に硬さが増していくのを感じた。
観念したかのように、部下は呟く。
「止めないで・・・下さい」

トランクスの中に手を入れ、直接モノに触れる。
先端から染み出した液体が、独特な感覚を与えて来た。
全体に擦り付けるよう扱くと、三谷は声にならない声を出す。
手の動きに合わせて、粘りのある音が聞こえる。
「もう、こんなにしてるのか」
顔を歪めて目を伏せる部下は、肩を震わせ、大きく息を吐いた。

彼の手を下着の中に引き入れ、モノに添わせる。
「どうすると良いのか、見せてくれよ」
その手の上に、自分の手を被せ、動きを促した。
しばらくは戸惑いの挙動を見せていたが、やがて自ら快感を求める行為を始める。
動きの邪魔になっている物を捲り、手に包まれたモノを外に引き摺り出した。
仄かな光の中で、部下の自慰行為を目の当たりにする。
辱めに耐え切れない目が、俺を見つめていた。

手の動きは、段々と激しくなっていく。
うっすらと汗をかいた上半身をまさぐりながら、小さく開いた唇にキスをする。
舌を絡ませながら、硬くなった乳首を指で摘んでやると、堪らない喘ぎを発する。
「感じるのか?」
更に、指で軽く捻りあげる。
「は・・・い」
俺の肩を掴んでいた手を、彼の胸へ促す。
すぐにその意を汲んだのか、部下は自らの乳首を玩ぶように撫で始める。
「んっ・・・」
波に押されるよう声を絞り出す様子に、激しく昂揚した。

身体の震えが大きくなり、絶頂が近いことを悟る。
ふと部下の手の動きが止まり、腹の辺りを触っていた俺の手を捕らえた。
「イかせて・・・下さい」
紅潮した顔に、愛おしさが溢れた。
今にも破裂しそうな、熱を帯びたモノに手を伸ばす。
先端を指で擦ると、大きく身体が跳ねる。
「城野、さん・・・」
「ん?」
「す、き・・・です」
そんな顔で、そんな声で、そんなこと言われたら。
俺に選択肢を与えないつもりなのか、そう思いながら、扱く手に力を込めた。

「も、う・・・」
短く呻きながら、三谷は絶頂を迎える。
精液の感触が、手を纏って行った。
肩で息をしながらシートに身を任せる部下に、軽くキスをする。
満足げに潤んだ目を、しばらく見つめていた。

□ 20_自由★ □  
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自由★(8/9)

事後の処理をしている背後で、何かを待っている気配を感じる。
「・・・帰り、俺が運転するか?」
求めているであろうものとは、違う言葉を掛けた。
返答までの沈黙に耐え切れず、振り返る。
「いえ・・・僕が」
疲れた声でそう言い、何処か寂しげな顔をする。
「三谷」
「はい」
的確な言葉が、見つからなかった。
「お前の気持ちに応えたい、と思う」
「はい・・・」
「でも、もう少し、待ってくれ」
部下の視線が、俺の左手を捉える。
「きちんと、収拾をつけたいんだ」
結論を引き延ばしても、お互い磨耗するだけだ。


家に着くと、妻はまだ起きていた。
「ずいぶん遅かったのね」
彼女はリビングのソファに座って、ぼんやりと深夜番組を眺めている。
テーブルに置かれたティーサーバーから、独特の甘い香りが上がっていた。
よく眠れる、そう言って彼女が好んで飲んでいる、セント何とかとか言うハーブのお茶だ。
荷物を置き、上着を脱いでソファに腰掛ける。
迷っていると、どんどんタイミングを逸してしまいそうだった。
「今度、改めて話す時間を作れないか?」
カップに口をつけたまま、彼女は俺を見る。
「・・・楽しい話じゃ、無さそうね」
「そうだな」

テレビの向こうでは、アイドルと芸人が浮世離れしたような明るい笑顔を振りまいている。
あんな風に、何も考えずに笑っていた時期もあったはずなのに。
「でも、前向きな話だと、思う」
「そうね」
そう言って、彼女は不意に立ち上がる。
「明日、お休みでしょ?」
「ああ」
「焼酎貰ったんだけど、飲まない?」
「芋?」
「ううん、黒糖だって」

その甘い酒は、奄美のお土産なのだそうだ。
氷の浮かんだ茶褐色の液体が、疲れた身体に染みた。
「今でも良いわよ?」
氷を溶かすようにグラスを回しながら、妻が呟く。
互いに別の相手と夜の時間を過ごし、互いに背中を押されたのかも知れない。
「・・・別れよう」

その言葉が出てくることを、彼女は分かっていたんだろう。
目を伏せて、寂しげな笑みを浮かべる。
「覚悟してても、キツイ言葉ね」
俺は、グラスの焼酎を一口飲んで、溜め息をつく。
「これ以上、君を引き止めておく訳には、行かない」
「・・・勝手よね、人間って」
「え?」
「引き止めて欲しい、そんな気持ちが無い訳じゃ、無いのよ」
佐賀と歩く彼女の表情を思い浮かべた。
今の俺に、あんな顔をさせることは出来ない、そう思った。
「でも、一緒にいても、もう隙間は埋まらないのね。きっと」
諦めの混じった表情で、彼女は言った。

「新しいスタートを、切る時だと思う」
空になったグラスに、彼女が焼酎を注ぐ。
カラカラと小気味良い音が鳴った。
「あまり待たせるのも・・・悪いだろうし」
妻が、俺の顔を覗き込み、表情を窺う。
「貴方にも、いるのね」
三谷の顔が、脳裏を横切る。
妻と別れ、男の部下を選ぶ。
有り得ない、そう思いながら、俺は答えた。
「・・・ああ」


その夜、俺は久しぶりに妻と身体を重ねた。
何ヶ月ぶりだろう、もしかしたら、年単位かも知れない。
良く知っている身体のはずなのに、妙に新鮮だった。
唇、うなじ、肩、胸。
決して若くは無いけれど、繊細で敏感な肌に、手を、唇を這わせて行く。
反応が大きくなるにつれ、俺の中の嫉妬心も膨らんだ。
この身体は、もう、俺のものじゃない。

彼女の中に、ゆっくりと自分のモノを挿入して行く。
口とは違う感触に、背筋が寒くなるほどの快感を得た。
しかし、俺の下にある彼女の顔が歪む。
「・・・どうした?」
目を伏せたまま、彼女は呟いた。
「久しぶりだから・・・ちょっと、痛いの・・・」
そう言って、俺の肩を掴む。
「・・・ゆっくり、お願い」

妻が、他の男に想いを寄せているのは確かだった。
だから、身体の関係もあるはずだ、と勝手に思い込んでいた。
短絡的な思考に酷い嫌悪感を覚え、身体が固まる。
彼女の両手が、俺の顔を包んだ。
「・・・続けて?」
ヤツとは、そんな言葉が出かかった。
その気持ちを、彼女は汲んでくれたのだろうか。
軽くキスをして、俺の背中を両手で抱えて身体を密着させてくる。
硬くなったモノが、濡れた隙間の奥へ、徐々に入り込んで行くのを感じた。
「・・・ありがと」
痛みに、快楽に、顔を歪める妻は言った。

□ 20_自由★ □
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自由★(9/9)

結婚生活は、線香花火のように、終わりを迎える。
正式に離婚届を出したのは、仲道が現場に復帰して、しばらく経ってからだった。
佐賀が去るタイミングを提案してくれたのは、彼女の気遣いかも知れない。
それまでは、なるべく妻との時間を過ごすようにした。
別れを決めてからの方が、二人の間が縮まったような気も、しない訳では無い。
けれど、その手を離すことに、後悔は無かった。
この決断が、互いの人生を有意義なものにすると、信じていた。


「昨日、引っ越されたんですか」
いつものように隣で運転する三谷が呟く。
届けを出した後の週末、妻は引っ越していった。
すぐに佐賀と一緒になる訳ではないようで、会社に程近いマンションに入居するとのことだった。
だから、物が減った一人の部屋に帰るのは、今日が初めてだ。
「しばらくは、慣れないだろうな」
「そんな弱気な発言、城野さんらしくないですね」
そう軽くいなしてくれたのは、部下の心配りだろうか。
見慣れたはずの近所の風景が、何か違って見えた。
「ちょっと・・・寄ってかないか?」
その言葉に、部下は何も言わずに頷く。

玄関に立つ三谷の手を引いた。
されるがままに、彼は俺の身体に身を預ける。
何も言わず、抱きしめた。
俺よりも少し背の高い部下が、腕の中で微かに震えていた。
やがて、彼の腕が俺の背中に回る。
「城野さん」
「ん?」
言葉に迷っているのか、彼は口をつぐむ。
少し身体を離し、部下の顔を見つめた。
「待たせて、悪かった」
小刻みに揺れる唇を、指でなぞる。
「俺と一緒に、いて欲しい」
自分が発した言葉に、心が震える。
それを悟られないよう、有無を言わさず、唇を奪った。

三谷の身体を、廊下の壁に押し付けるように軽く押さえつける。
家には、まだそこかしこに妻の余韻が残っていた。
自分の節操の無さを振り払うように、舌をねじ込んだ。
苦しそうな息遣いが、喉を通っていく。
細い視界の先に、顔を歪める部下の顔があった。
俺を求めるように、腰に巻きついた腕の力が強くなる。
堪らなかった。
唇を離し、潤んだ目に訴えるよう、彼に言う。
「今日、泊まって行け」


側に横たわる三谷の手が、俺の左手を掴む。
薬指に残る跡に唇を寄せ、爪の先へと滑らせる。
一瞬俺の方を見やり、そのまま指を口に含んだ。
指全体に舌が這い、柔らかくて熱い感触が、首筋を寒くさせる。
しばらく行為が続き、部下は指先に口をつけたまま言った。
「・・・情け無い」
「何が?」
「僕の中には、まだ・・・」
居た堪れないように、目を伏せる。
「奥さんへの嫉妬が、残ってる」

妻がいる男に恋をする。
部下は二つの業に苛まれ続けて来たのだろう。
突然訪れた自由に、戸惑っているように見えた。
「・・・奥さんのこと、まだ、愛してますか」
聞かれたくない質問だった。
「そうじゃない、と言えば嘘になる」
「・・・そうですよね」
俺の胸の辺りにある彼の顔が、曇っていく。
「そんな顔、するなよ」
前髪に手を伸ばし、掻き揚げるように額を撫でた。
「これから積み上げて行けば良いだろ?」
消え入りそうな声で、はい、と答えた部下を強く抱きしめる。
小刻みに震える彼が、ふと呟いた。
「キス、して・・・僕の浅ましい気持ちを、消して下さい」


湧きあがる感情に反するよう、これからどうなるのか、不安も募る。
いつまでも同じ現場に常駐している訳でも無い。
現場が変われば、生活リズムも変わり、今のように頻繁に会うことも出来なくなるだろう。
かと言って、一緒に住むことは体外的に考えられなかった。
きっと、三谷も同じ不安を抱いているはずだ。

横で眠る、部下の顔に目をやる。
そっと顔を撫で、唇で頬に触れた。
「・・・ずっと、一緒だ」
その言葉で、自分を鼓舞させる。
新しい人生を、二人で歩んでいく為に。

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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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